これは、今でもはっきり覚えている出来事です。
そして正直に言えば、今でも自分の考え自体は変わっていません。
でも、
管理職としての対応は、間違っていたと思っています。
「子どもを呼び捨てにしたい」という相談
子どもに関わる仕事をしていた頃、
ある職員からこんな相談を受けました。
「子どもの名前を、呼び捨てで呼びたいと思っています」
理由もあったと思います。
距離を縮めたい、フラットな関係をつくりたい、
子ども同士が呼び捨てだから合わせたい――
背景はいろいろあったはずです。
でも、そのときの私は、
ほとんど考える間もなく、こう答えました。
「それはダメです」
間髪入れずに却下した理由
当時の私の考えは、今も変わっていません。
人様の子どもを、
大人が、仕事として関わる立場で、
呼び捨てにするべきではない。
これは価値観の問題であり、
職業倫理の話だと思っています。
だから判断自体は、
間違っていなかったと今でも思っています。
でも、私は「説明」をしていなかった
問題は、その後です。
私は自分の方針を、
「正しい前提」として一方的に伝えただけでした。
・なぜそう考えているのか
・子どもとの距離感をどう捉えているのか
・呼び方が持つ意味
・保護者からどう見えるか
そういった説明を、
ほとんどしていなかった。
職員の気持ちに寄り添う前に、
結論だけを突きつけてしまったんです。
相手が求めていたのは「許可」ではなかった
今なら分かります。
その職員が本当に求めていたのは、
「呼び捨てを許してほしい」という答えではなく、
「自分の考えを、ちゃんと聞いてほしい」
「なぜダメなのか、納得できる説明がほしい」
そこだったと思います。
私は、
方針を守ることに意識が向きすぎて、
相手の思いを受け止める工程を飛ばしてしまった。
正しさは、説明して初めて意味を持つ
管理職として痛感したのは、
正しさは、共有されて初めて機能するということです。
どれだけ正しい考えでも、
「そう決まっているから」
「ダメなものはダメ」
この伝え方では、
相手の中には何も残りません。
納得ではなく、
ただの「従った」という記憶だけが残る。
今の自分なら、こう対応する
今なら、同じ相談を受けたら、
私はこう話します。
「その考えに至った理由を、まず聞かせてほしい」
「子どもとの距離感を、どう考えている?」
「その上で、私の考えも聞いてほしい」
そして、こう伝えます。
「私は今でも、人様の子どもを呼び捨てにするべきではないと思っている」
「でも、それは君の気持ちを否定したいからじゃない」
時間をかけてでも、
考えの背景と、方針の理由を言葉にする。
それが管理職の仕事だったんだと思います。
マネジメントで本当に大切だったこと
この出来事から学んだのは、
「決めること」よりも「伝えること」の重さです。
方針は守る。
でも、人は置いていかない。
正しさを貫くなら、
それ以上に、説明責任を果たさなければならない。